今日は午後から設計打合せ。急な斜面の上に建つとても魅力的なウチです。
とある部分の窓をずらす検討をしていると、次にそれに関わる家具の検討、次に隣の部屋の窓の高さの確認、次にその隣の窓の確認、次にその隣の吊戸の確認、次にタイルの確認、次に、次に・・・・と1つを決めるのにたくさんの事を考えなければなりません。そこでお施主さんが「住宅は全ての事が関連しているから精密機械のようだ」とおっしゃいました。
打合せの帰り道、ふとコルビジェの「住宅は住むための機械だ」という有名な言葉を思い出しました。工業化社会が進む時代の中で装飾などは一切なく、住むという機能を追求したものが住宅だ、と解釈していたのですが、今日の出来事で、そっか別の読み方もあるかもしれないなと思ったのでした。
同じ「機械」という言葉で例えていますが、2つは全く意味が異なり、コルビジェは誰でも、どこにあっても成立する普遍的は住宅。もう一方は住宅の中の各々の関連は住み手や作り手の考え方によって線が結ばれていき複雑に重なり合う唯一の家。
「住宅は機械だ」という言葉が好きではなかったのですが、少し好意的になれそうな出来事でした。
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