M 無題

2011年4月6日

3月11日、目白の事務所で仕事をしていた私は、今までに経験をしたことのない揺れに襲われた。この尋常でない事態に、私の足はすぐに娘のいる保育園へ向かって歩き出していた。4時間かけてやっと会えた娘を抱きしめ、ほっと胸をなでおろし、自宅へ向かう。家に着いてテレビを付け、はじめて知る東北の状況。本当のことなのか、事態をのみ込めない自分。未明近くに主人も無事に帰宅。落ち着いてニュースを見る。津波に家が流されている画面が信じられない。涙が止まらない。
震災が起こってから、ブログを書くことができなかった。
家族を亡くされた方、家を無くされた方、家はあっても住むことができない方。私は家を作っている人間なのに、何もできない。命を助ける自衛隊や、命がけで原発の復旧をしている作業員、歌の力で勇気づけている歌い手、たくさんの義援金を送る方、災害用のシステムをすぐに開発し運用している社員などなど、多くの人が突き進んでいるのに、私は自分の無力さに立ち止まる日々。。。
私が個人で住宅を設計していこうと志したきっかけを思い返した。建築の勉強をしていた学生の時に、日本の住宅事情に疑問と不満を抱いていた。一生を過ごす大切な場なのに、紋切り型の箱を、商品のように購入する事に違和感があった。そして、全ての人が十人十色の家族像があるのに、それに合う家作りが一部の層に限られていたことも変えたいと思った。しかし、そんな風にみんなの意識を変える事は到底無理だと悶々と考えていた頃、とある町のお医者さんに出会った。そのお医者さんは自分の想いや理想を通していた。小さな病院の狭い世界だけれども、その廻りにいる患者さんやスタッフの方達はとても幸せそうに見えた。そうだ、私も大きな事を成し遂げようとせずに、私が出会ってきた人、出会う人達が幸せに暮らせる家を作って行こうと、ストンとおさまるべき所に心が決まった。
この震災で家とはなにか、また深く考えさせられた。これほどに家族や心、安心に直結するものはない。今まで通り、丈夫で、何気ない毎日にここち良い空気が流れ、時を感じ、自然と共に生きることをより一層考えた家を作って行きたいと思う。とても小さな自分だけれども、日本を信じて、この場で出来る事を一歩一歩進んで行こうと思っている。そして一人の母として、次の世代にしっかりとバトンが渡せるように日々頑張って行きたい。

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